不倫問題から10年以上の月日が経ち、改めて確信しているのは
「このつらい問題は、必ずその人たちにとっての人生のプロセスになりうる」ということです。
もちろん、短期的には非常に辛く苦しい出来事。
こんな相手と結婚しなければ、こんなに辛い思いをしなくて済んだのに。
責める気持ちは、相手だけでなく自分にも向かいます。
それでも、私は思います。
不倫問題とは、不倫をした側であってもされた側であっても、
自分自身の人生にとっての糧になる経験なのだと。
不倫した側の方のお話を聞くことも増えたのですが、
「ものすごく幸せで満たされていて、でも不倫を選択しちゃった」
という方には会ったことがありません。
自分の中にある不安感、生きづらさ、成育歴の中でできた心の傷、社会的ストレス・・・
そんなネガティブな心の癖が、不倫につながったんだろうなという方はとても多い。
(※だからって、不倫という選択をしたことを正当化するわけではないです)
不倫問題に向き合うことは「不倫した側」の人たちにとっても、自分の人生に向き合い、
本当の意味で彼ら、彼女たちが癒されていくプロセスになる。
では、不倫された側は?
「自分で」不倫を選択した側と違って、完全に受け身の側です。
自分で選んだわけでもないのに、目の前のパートナーに愛と信頼を裏切られた。
なぜ、何もしていない自分が「自分の人生」に向き合う必要などあるのか?
なぜ自分が頑張らないといけないのか?
私も長年そう思っていたので、その気持ちはとてもよくわかる。
でも、その立場をずっと経験してきたからこそ、言えるんです。
おそらく誰しも、「不倫前の人生は100%幸せだった」と断言することなどできない。
(不倫前は幸せだったのに・・・、と言う人はいますが、
その多くは失ったものに対するあこがれであり、過去を美化しているだけに過ぎない。
過去の記憶なんて、今の自分が簡単にねつ造しちゃうものなんです)
やはり何かしらの心の癖、ありさまの癖が引き金となって
不倫を繰り返すパートナーを選んでしまったのかもしれない。
不倫を容認するようなパートナーシップを創り出していたのかもしれない。
不倫されて離婚したいのに、決断に踏み切れないのかもしれない。
配偶者と再構築したいのに、目的に対して真逆の行動しかとれないのかもしれない。
※あなたが悪いから相手が不倫を選んだということではなく
「望まない現実」の背景には「された」側にも何かしらの「意図」が隠れている可能性があるのだということです。
不倫問題の傷を通して、自分の人生に向き合う。
その勇気を持つことを選択した人は、必ずその先の人生がより豊かに生きやすいものにできるんです。
相手は変えられないかもしれない。
でも、自分を変えることは必ずできる。
自分はより望ましい未来を創っていくことは必ずできる。
焦る必要は無いし、自分一人で頑張る必要は無いです。
困ったときはお気軽にご連絡くださいね!
不倫問題は、自分が癒されるための通過点に過ぎなかった。
振り返った時にそう胸を張れる日のために、今があるんです。