ママ友も友達も、いなくても幸せになれる!けむり流人間関係のとらえ方

ご無沙汰しております、けむりです!

当ブログ、完全に夏休み期間でありました(;´д`)

夏休み、と言ってもいつも以上に忙しい日々ではありましたが・・・
(子どもの夏休みに振り回されておりました)
改めて、ブログも再開していきますのでよろしくお願いしますヽ(´▽`)/

さて、母親業の身。
夏休みも終わり、子どもの学校も始まり

「ひゃっほ〜(^^) 自由バンザイ!一人バンザイ!孤独バンザイ!」
と踊りだしたくなるのが本音でありますが、

一方で「元」子どもでもある身として

「休み明け、学校に行くのがツライ子もいるよなあ」
と胸が痛むのであります。

私が、学校キライだったから。
キライだけどキライとも言えず、道を外れる勇気もなく、
粛々と耐えてきた身だから。

この季節になると、そんな不自由な頃を思い出す。
(本当は自由なんですけどね。それに気づけなかったから。)

と、つい先日のこと。
私の「学校嫌いトラウマ」が刺激される出来事がありました。

それはとあるママ友のこと。

稚ブログにも登場(ネタにしてるともいう)したことのあるママさん。
頑張りすぎる人はむしろ周りに迷惑をかけているかもしれないという事実

この記事の後も、わりと頻繁に連絡が来たり、
突然お願いごとをされたり、
半ば強引に、我が子のお世話をしてくれたり。

グイグイ入りこんでくるママさんなので、付き合いは続いていました。

私自身は言うほど悩むことも困らせられることもなく、
「ママ友」としてのお付き合いを続けてました。

ここを悩まずに切り抜けられるようになったのは、
「課題の分離」が自分の軸にあることがとっても大きい。

たくさん頼まれごともしたけれど、
「本当に自分のできる範囲で」のみ、お受けしたのでストレスもたまりません。

(以前の私なら、自分のキャパを超えても相手のために頑張っていたと思う)

なのでこれといって問題なくお付き合いしてたんです。

で・す・が・・・

先日、私が仕事帰りに電車を降りた時。
ちょうど隣のドアから電車を乗り込むママ友Iさんと息子君が見えました。

何も考えずいつもどおり、

「Iさん!お疲れ様〜」
そう声をかけたわたし。

「おおー、Rちゃんママ!おつかれ!子どもの習い事送ってくるねーーー」

わたしの倍以上の音量とテンションと笑顔でそう返答してくる彼女。

の、はずが・・・。

その日は、まるで私を「赤の他人」を見るような不思議そうな目で見返してきたのです。

何十年も会っていない同級生に声をかけれられて必死で名前を思い出しているかのような、

いやいや、
違う惑星から来た謎の生物を見て「これが宇宙人というものか」と考えていたような、

まあ、そのくらいしらっと不思議な顔で見られて返事もされぬまま、
彼女と息子を乗せた電車のドアはしまり、過ぎ去っていったのでした・・・

(※注 この短期間に私が激ヤセ・激太りして外見が変わり果てたという事実はございませんw)

いつもと180度違う、Iさんの対応に戸惑った私。

彼女はパニック障害を患っており、今も精神・肉体的に弱いところがあるので
心配もあり、一度だけお伺いのラインはしました。

が、いわゆる既読スルー・・・
返信は全くありません。

先に言いますと、この話は今のところオチがないです。(ないんかい!)
それきりまだIさんと関わっていないので、
彼女の反応が一時的なものなのか、私を今後も無視し続けるのかはわかりません。

結論から言うと、私も全然気にしていません。
それが彼女の選択なら、それでいいと心から思ってる。

私が何か気に触ることをしてしまった可能性もゼロじゃないけど、
(思い当たる節はないけど)
何も伝えずにぷっつり縁を断つことを相手が選ぶのであれば、それは相手の決断。

そこを超えてでも、こちらから歩み寄りたいか・・・??

と自問自答しました。

結果
「そこにエネルギーは使いたくない」のが私の結論。
去るもの追わず、です。

ただ、この経験から何が言いたかったかというと・・・

ざわつくんですよね~、
人から無視されるって。

私が今回の件でもやもやしたのも、
Iさんの言動ってのは表面的なことのように感じていて。

私の奥底にある、

「人から嫌われたらどうしよう」
「無視されたらどうしよう」
「誰も友達がいなくなったらどうしよう」

そんな恐れを握りしめていた、在りし日の自分のトラウマのように感じてるんです。

でも、大人になったから、気づくことができる。
気づけば、手放すことも選べる。

「人から嫌われたらどうしよう」
嫌われてもいい。自分を信頼してくれる人こそ大切にしよう。

「無視されたらどうしよう」
いい気分はしないけど、されても何も困らない。

「誰も友達がいなくなったらどうしよう」
そもそも私は一人が大好きだし、自分が大事にしたい人たちを大事にできればそれでいい。

客観的にそう振り返りながら、

「ああ、大人になって生きるのが楽になったもんだ」としみじみ思ったわ。

もうちょっと具体的に、人生を楽にしてくれてる要素を挙げてみます。
私の場合は主に3つ。

スポンサーリンク
広告1

☆複数の柱(居場所)を持っていること

仕事を通した友人もいる、
ブログを通して出会った仲間たちがいる、
不倫問題で励ましあった仲間たちがいる、

自分の居場所を複数もっていることが本当に大きい。

ママ友の世界だけで息苦しくなるような生活は想像したくもない。

☆信頼できる人との縁を育むことに集中する

不倫問題や、このブログを始めてから出会った人達は
「価値観」を語り、共有し合える仲間たち。

頻繁に会うわけではないけれど、そういう存在がいることが
心強い。

自分が「大事にしたいもの」が明確になればこそ、
それ以外に振り回される必要がなくなってくる。

☆一人の時間が大好き

最近は一人の時間が大好き過ぎて、どうやってそれを捻出するかばかり考えてる。
このブログをじっくり書けるのも、一人の時間があるからこそ。

だからこそ、友達の数だけ多いのはむしろ私の人生に取っては悪循環。

そんな内省をした最近でした。

学校に行きたくない子どもたちには、ぜひぜひぜひ
自分の世界を少しずつでいいから、広げてほしいな。

今いる場所だけがすべてなわけでは、絶対にないから。

自分を受け入れて生きていけば、必ず「ほんとの友達」はできるから。

学校嫌いだったあの頃の自分にも、そう伝えたい。

そんなことに気づけた、Iさんとのエピソードでした。

スポンサーリンク
広告1

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
広告1