死・喪失からの学びとは何か。キューブラーロス博士「ライフ・レッスン」

今日は、私のバイブルでもある1冊からの言葉をご紹介します。

昨日は私の祖母の命日でした。
普段はゆっくり思いを馳せることもなくなってしまったのですが、
命日となると考えます。
亡くなった父や祖母、そして死と隣り合わせにある自分の生。

もうすぐ3・11が近づきますが、
突然訪れたあの1日のことを痛みと共に思い出す人は多いはず。

そんな時にふと思うこと。
亡くなった人は生前の思い出はもちろん、
死ぬ瞬間、死後も学びを与えてくれる存在なのかもしれない、と。

そんな学びを書物で残されている女性がいます。
精神科医であり、終末医療の先駆けでもあったエリザベス・キューブラー・ロス博士。

死期が迫った患者さん達との関わりをもとに、死に関するたくさんの著書を出されています。
その中でも私のバイブルとなっているのが「ライフ・レッスン」という一冊の本。
人生はレッスンである、という考え方は、夫の不倫問題で傷ついた私が改めて人生を歩みだすときに、
いつも勇気を与えてくれました。

さて、冒頭でご紹介したバイブルとは「ライフ・レッスン」

(画像クリックでAmazonへ)

「死」から逆算した今の人生を考えるときに、非常に参考になる一冊です。

私は夫の不倫から自分の心を立て直そうと考えたときにも、役に立ちました。

ことの重さは違いますが、不倫問題というのも私にとっては一つの死=喪失でした。
夫への愛や信頼、思い描いた未来、家庭像、安心感・・・
漠然としたものでは有りますが、ひとつ大きなものが失われた感覚はありました。

けれど、失う経験は、必ずより豊かな人生に繋がっていく。生きている限り。

喪失経験を人生の糧にするー
それを具体的に教えてくれた本で、今でも悩んだときによく読み返します。

今日はその第一章「ほんものの自己のレッスン」から抜粋します。

余命宣告を受けたり、愛する人が死にかけているなどの喪失の最中にいる人(かれら)との出会いからの言葉。

かれらは危機に瀕していた。と同時に、あたらしい人生を手に入れられるかどうかの瀬戸際にも立っていた。
まっすぐに「怪物の目」をのぞきこみ、これでもかとばかりに死を直視し、おのれを死に明け渡した・・・
そして、人生のレッスンを学ぶにつれて、人生観ががらっと変わった。
その人たちは絶望の闇の中で、残された時間になにがしたいのかを決定しなければならなかった。
そのようなレッスンはかならずしも愉快なものばかりではないにもかかわらず、
そんな経験をした人のすべてが、レッスンによって人生の味わいに深みがましたことに気づいている。
とすれば、いますぐ身につけられるレッスンを学ぶのに、人生の終焉の時まで待つ必要があるだろうか?

(ライフ・レッスン 角川文庫 p19)

レッスン、といってもただ苦しい・耐え忍ぶだけの苦行ではなく、
その先には「深みのました人生」がある、というビジョンは
絶望感にあった私にとっては一筋の光に思えたのです。

レッスンを学ぶことは成熟していくことにやや似ている。突然幸福になったり、
力がついたり、裕福になったりすることはないが、周囲の世界に対する理解が深まり、自分自身とのおりあいがつけやすくなる。
人生のレッスンを学んだからといって人生が完全なものになるわけではないが、
そうなるはずだったような人生をみることには確実につながる。
「不完全な人生を大いに楽しむようになった」
といった男がいたが、これはそういったたぐいのものである。

(ライフ・レッスン 角川文庫 p20)

不倫発覚から数年が立ち、
「私は回復したんだ」と心から思えた時に思い出したのが上の言葉です。

心の傷から回復したとはいえ、毎日が薔薇色になるわけではもちろんありません。
日々の些細なことに悩んだり、落ち込んだり、イライラして自己嫌悪になったり。

それでも、あの痛みを経験する前の人生と比較した時に
「周りの世界や自分自身との折り合いがつきやすくなったな、
不完全な人生だけど、前よりは楽しめるようになってるな」

心の成長は目に見えませんし、誰に褒められることもありませんが、
本書を読み返した時に理解の深まった自分を発見したのでした。

本書では、人生がわれわれに習得せよと要求しているレッスンは14あると挙げられています。
(結構多いですね!笑)

赦しについての記事はこちら→復讐ではなく、自分を傷つけた相手を「許す」とは。ライフ・レッスンから学ぶ「許し」

他の章も、またご紹介させていただきます~!

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