ロスジェネ世代の仕事観・吉野家とキャバクラが教えてくれたこと。

ご無沙汰しております(;▽;)
実に一ヶ月ぶりの更新になってしまいました。
子供の夏休みと、講師の仕事に追われてブログに向き合う心の余裕がない日々でした。

その点は反省点ばかりなのですが、、、
これを機に?今日は「私の仕事歴と仕事観の変遷」をつぶやきます!
ご興味のある方は読んでいただけたら嬉しいです。

スポンサーリンク

反省・・・と書きましたが、ブログを「趣味」で運営しているだけであれば、反省なんて必要ないのかもしれません。
ですが私はこのブログを「仕事」として運営したい、という目標があります。
(記事の途中にある広告はその一環として貼らせていただいています)

自分の思いを込めた言葉を発信し、そこから読者の方(お客様)と出会う。
それがひいては自立できるような収入につながっていく。
子育てや家族を大切にすることと、両立できる働き方。
それを実践できるようになることが、今の一番の夢です。

収入・・・という点では、現時点ではほとんど目標達成はできていないです(^_^;)
が、それでもこの空白の一ヶ月の間

・PV(サイトのページを見ていただいた数)は少しずつ上昇
・↑そのため、少しずつ広告収入もいただけるようになる
・温かいコメントをいただく
・温かいメッセージをいただく

といった、嬉しいこともたくさんありました☆
特に読者の方からいただくメッセージは嬉しい!!
(まれに、嫌がらせのような内容のもありますがw)
またここから再スタートしていく原動力をいただいています
(ありがとうございます!!!)

今までずっと「働いて汗水たらした時間=お金」と頑なに信じていた私。
ブログ運営を通して、多様な働き方をされている素敵な出会いに恵まれたこともあり、その価値観が揺らぎ始めています。

ここで私のお仕事遍歴をご紹介いたします。

高校が遠かったことから、高校時代のアルバイトは長期休暇中に短期のアルバイト程度。
ですが、その頃「バブル崩壊」という波が世間を襲い、もれなく我が家にもその波が押し寄せてきました。
いわゆる、ロストジェネレーション(ロスジェネ)と言われる世代の私。

母や父、同居の祖母の話し合いが続き、家庭内のムードが徐々に険悪になっていく日々。
ほどなくして、父が起業をしようと借金をしていたこと
それが立ち行かなくなって自己破産をせざるを得ないことなどが判明。

「私にもお金があれば離婚するのに・・・・」
涙ながらにぼやく母親を見ながら、思春期の私は
「私は自分で稼げる人間になるんだ」と固く決意したものでした。

お金がないので塾には通わず、浪人もできないので必死で大学一発合格。
(お金がないということも、時には大事なのかもしれません)
育英会の奨学金をもらう前提で入学し、その頃からようやくアルバイトにデビュー!!

アルバイトは本当に楽しかったです。
「自分でお金が稼げる」ということは、
「耐えるしかない」無力な自分から脱出できたような、
自由をつかんだような、
誇りというのだろうか、
そんな小さな自信にもつながっていきました。

それに「学校」というものが好きではない私。
地味で可愛くなくてぽっちゃりして人見知りな私なんて、学校のマウンティング社会では最下位なわけ。

けれどバイト(職場)は違う。
学校で出会ってたら挨拶もしないような人種にも、業務遂行上の会話をせねばなりません。

でも、
金髪のイケメン先輩も、アイドル顔のモテ女後輩も、エリート大学生も、

「なんだ、喋ってみればいい人じゃないか・・・!!」

「マウンティングとか言って、壁を作って避けていたのは他でもない自分自身だったんじゃ・・・!!」

そんな人間関係における「悟り」も経験させてくれたのがこの、アルバイトでした。

お金を稼げる嬉しさと、友達の和が広がっていく喜び。
その頃から私の中には、誰に言われたでもなく

「仕事マンセー!」
「働かざるもの食うべからず!!」

まるで昭和なスローガンが強く根付くようになりました。

その信念に突き動かされるかのように、大学が休みの日は

早朝はセ〇ンイレブンのバイト

昼から吉〇家のバイト(牛丼の盛りつけも上手くなりましたよ!)

夜は串揚げ屋のバイト(ウェイトレスで応募したはずか、人が足りず揚げ場担当に。職人に混じって、板前のような格好で串を揚げていた)

と、文字通り朝から晩まで仕事をしていた日も。

吉〇家では深夜帯もやっていました。
(コンビニは女性の深夜は禁止ですが、飲食店はOKだそう)
17時から朝8時まで働いて、そのまま大学に行ったことも。
(もちろん講義中に寝てしまう・・・)

昼間帯と違って、深夜帯はいわゆる「風変わりな人」の割合が多かったです。
昼間は下水道の職員をしながら、夜は深夜バイトで家族を養うおじさん、
従業員とは一言も話をしない若い女性、
休憩室で堂々とアブノーマルなアダルト雑誌を読んでいる男性フリーター・・・

世の中には色んな人間がいて、
みんなそれなりの事情を抱えて、
それでもそれなりに頑張って毎日生きている

という、ごくごく当たり前の発見は、
ちっぽけな私に少しの勇気を与えてくれたものでした。

ちなみに収入面は、大したことはありません。
どれも時給1000円未満のアルバイトで、親の扶養だったしね。

が、この生活の中で
「汗水たらして働く=お金」
という公式は、私の中でより強い信念となっていったのでありました。

そして就職氷河期の中、ブラック企業と名高いとある学習塾に入社。

(過去記事に詳しく書きました)
ブラック企業はバカ・アホ・罵声は当たり前。事例①パワハラ編
ブラック企業の常識は世間の非常識!実例②モラハラ・不倫編
長時間労働の夜はカフェイン2倍で臨め!ブラック企業の定義③

2年で退社したあとは、またまたアルバイト生活。

「汗水=お金」の公式に加え、この頃はさらに

「私なんて所詮、日の当たらない人間なのよ、フッ…」という屈折した信念も追加され、

選んだバイトは
・工場の箱詰め(人と喋らなくて良い)
・キャバクラの皿洗い(日が当たらなそう)

でした。
(真面目に頑張ってる方に「日の当たらない」とは失礼ですね。
あくまで私のイメージですのでお許し下さい)

スポンサーリンク

キャバクラの皿洗いは、私の「汗水=お金」公式が揺らいだ経験でした。

私は皿洗い(他、おしぼりやお酒を運ぶウェイトレスや、駅前で広告ティッシュを配るような雑用)なので時給1000円ジャストですが、
当然キャバ嬢たちは、もっと稼いでる。
最低時給が3000円、指名が付けば歩合給はどんどん上がっていくし、
勤務時間の前後にお客さんと美味しいものを食べたり飲んだりしている
(それも営業の一環ではあるが)

銀座とか都内激戦区とか全然は話が違うのでしょうが、
私の勤めたキャバクラは東京のベッドタウンの駅前。
キャバ嬢も普通の大学生とか、昼間は派遣やってますOLとかで。
まあ、ほとんどが腰掛けキャバ嬢、素人さんですわ。

「いやいやいや、そのベシャリ(喋り)で3000円???
こちとらブラック企業で2年間、女優を演じ続けてきたんだよ!!
上司(お客)をもちあげる演技にかけてはあたいの方が負けてないんだよ!!」

キャバ嬢たちの客対応を観察しながら、逐一そんなツッコミを心の中でつぶやく私。
もちろんそんなことはおくびにもださず、
黙々と、店を掃除し、皿を洗い、酒の瓶を磨きつづけてましたけどw

そんな地味な皿洗いですが、時たま

・今日はお客さんが多く入ったから、お小遣い~♪

と言って店のママが1000円札を数枚握らせてくれたり、

・これはあなたに、

と言って、客のオジさんがお小遣いをポケットに入れてくれたり、

泥酔した客をみんなで抑えようとしているときに、なぜか私が顔を(!)舐められたときにも

ごめんねー、という言葉とともにママから1000円札が何枚か渡されました。

そんな経験は
「汗水=お金」公式を揺らがせるものでした。

こういう経験をしちゃうと水商売から抜け出せない、と言われますが。

私は所詮皿洗い。
ハマることもなく、地味に転職活動を続け、

結局前職と同業(学習塾)に再就職が決まりました。

この塾こそ、一番長く勤めた会社(産休・育休を含めて9年)なのですが。
幸か不幸か、ブログに書くようなネタがありません。
(教育の記事を書くときの大きな糧になっているのですが、会社としてのネタはあまりないのです・・・)

それだけ平和で、普通で、幸せな仕事人生だったのでした。

その普通な人生にピリオドを打つきっかけとなったのは
「こども」
の誕生です。

普通とは言え、学習塾の仕事は「夜のお仕事」
定時で上がっても21時半、いつもは23時過ぎに職場を出るのが当たり前の生活。
世間のお休み=繁忙期。

ホワイト企業の夫とは勤務時間のすれ違いも多く、それも一因となって夫の不倫も発生しました。

夫の不倫、
からの出産、子育て。

フルタイムでの職場復帰。

そんな数年間の中で、ようやく私の中の「働く」という公式-
働かざるもの食うべからず!
汗水たらした時間がお金になる!

そんな体育会系番長の声を、疑う日がやってきたのです。

長くなったので次回に続きます。

次は汗水垂らさずにお金を得た経験と、私の目標とする働き方について書いていきます♪

お読み下さりありがとうございます(^^)

スポンサーリンク
広告1

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
広告1