課題の分離を実践するために必要な知恵と具体例。タフラブという快刀に学ぶ②

アドラー心理学でいう「課題の分離」を「タフラブ」という言葉からひもとくシリーズ②
前記事(課題の分離は相手への愛。信田さよ子「タフラブという快刀」に学ぶ①)に続きタフラブとはどんな愛かを具体的に考えていきます。

日本では「手放す愛」「見守る愛」と訳されている、タフラブ。
この「タフ」とは、ストロング(打たれ強い)でもパワフル(しぶとい)でもない。勇気をもって、相手を「見守る」(見捨てる、ではない)愛だと説かれています。

(詳しくは本書にあります:↓画像をクリックで商品ページに飛びます)

本書で説かれている、タフラブの実践に必要なことは3つ。

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①家族愛という幻想を脱ぎ捨てる

「家族愛」「親子愛」「夫婦愛」など、身近な人間関係こそが愛、という常識はまだまだ世に広くあります。
しかし、長年の現場でのカウンセリング経験に基づく信田氏の「家族」への見方は、世間の常識と正反対!

そもそも、歴史的には「親殺し・子殺し」が行われていた。そんな時代の実例がいくつか出され、母性本能などの、本能的な「家族愛」は否定されています。詳しくは本書にありますが、ギクリとするような言葉もいくつか。

  • “家族”“家庭”とは治外法権の場、密室であり、収容所、殺戮の場である。
  • 多くの親にとって子供とは表向きは愛情の対象であるが、その実、資源なのである。
  • 親と子の関係も、実はクールな利害関係で成り立っている。
  • 親がいても子は育つ
  • 家族とは積みすぎた方舟(はこぶね)である。

もちろん、カウンセリングになど全く縁のないような、いわゆる「家族愛」に満ちた家庭というのもたくさんあると私は思う。
けれど、身近な関係だからこそ何か問題が起きたときには重症化しやすい。(他者に相談しにくいとか、自分がやらなければと抱え込んだりとか)だからこそ、家族間の殺人も多いですよね・・・
家族の中での問題が起きた時には、家族愛という「常識」を疑うのも大事なことなのです。

ちなみに、「家族愛」という常識に疑問を投げかけたのは、私の大好きな寺山修司も同じ。

他人の母親を盗みなさい、というフレーズから始まるエッセイ「家出のすすめ」
ちりばめられた名言は、今も自分の一部になっています。(切り口は心理士の信田氏とは全然違いますが)

当たり前と思っていた常識が「自分を苦しめている」かもしれないと感じたときは、疑ってみる。自分の人生を自分なりに捉えなおす。

そんな内なる変化は人生の大切なステップのように思います。

②理解の断念

これも常識の真逆です。
話し合おう、理解しよう。コミュニケーションこそ人間関係のキーワードともされている考え方。
けれどタフラブではあえて、それを「諦める」ことを勧めます。
その理由を本書ではこう語ります。

「理解しあう」は使い勝手のいいことばである。
「話せば、理解しあえる」「私たちは理解しあっている」などとよく言うが、よくよく考えてみれば、どちらかが一方的に「理解させられている」場合が多い。つまり、「理解しあおう」と言いつつ、話し合いを重ねているうちに、論理力のある方が、ない方をからめとっていくのだ。
(中略)
論理力のないほうは、強力な掃除機に吸い取られるように、話し合えば話し合うほど(中略)取り込まれ、包み込まれてしまうのだ。

自分の考えを分からせたい側(論理力がある・力関係が強い)方が相手(論理力がない・弱い立場)を言いまかせて、相手が言い返せない=分かり合えた、と解釈してしまうのだ、ということ。
親子、上司と部下などは分かりやすいですね。

もちろん、すべてのコミュニケーションが役に立たないわけではなく、 話し合って解決することも多いと私は思う。でもそれは問題が大きくない(カウンセリングには来ないような)場合ですよね。
こじれる場合というのは「話し合っても解決しない」というケース。

私の例でいえば、不倫問題発生時の私と夫がまさにそう。
お互いの正義の主張で、話しても何一つ解決しない。徒労感だけが残る。

うちの場合には夫の方が論理力が高い(話がうまい)ので、私は言い負かされた敗北感と、自分の話が伝わらなかった無力感だけにさいなまれて黙り込んでいました。
(私が黙ってしまうので、夫は『言い負かした』=『解決した』と勘違いしていました。。。)

そんな「話し合いでは解決しない」状態になった時こそ、タフラブの考え方が有効なのです!

理解を諦めること。

理解しよう、理解してもらおう、そんなコミュニケーションを断念すること

③切り分けの法則と、具体的な対応について

最後に、では具体的に「どうするか?」という対応のポイントについて。

こちらからのコミュニケーションのコツは、一つだけ。

「私」を主語にして伝える。

『私は』こうしたい(したくない)です。
『私は』本当はこう思っています。

と、『私は』を主語にして話をすること。

その時に、反論されたり、相手には伝わらない時も多くあるでしょう。
それでいいのです(←ポイント②理解の断念)

母なのに、娘なのに・・・という罪悪感もいりません(←ポイント①家族愛という幻想を捨てる)

伝わらなくていい、非常識でもいい。『自分』はこう思う、というのだけ、伝えること。

この時にお勧めなのが「女子アナ」調だそうです!

分かってもらおうとは思わないでください。あなたは、ただただ自分の言いたいことを言えばいいんです。そうですね、女子アナの気分でいってください。ニュースキャスターは、聞いている人が分かってくれるかどうかなんて気にしていませんよね。(中略)淡々とした言い方で『私はこう思います』と話してください。

アドラー心理学でも、『私は』を主体にしたコミュニケーションを提唱しています(I(アイ)コミュニケーションと言われます)

私には、とっても役に立っている実践方法です。
もちろん、だからって相手が変わるわけではありません。理解は断念していますから。
けれど続けていると、「自分にとって」変わってくることがあるのです。

言葉ってとてもエネルギーがあります。
「自分が」を主語にしてものを考える、伝えることに慣れると、行動も変わってくるのです。他人まかせの人生・他人の期待を満たすための人生ではなく、自分の望む人生を自分で切り開こうという発想になってくるのです。

すると「これは誰の問題か」という切り分けの見極め方も、少しずつ上手になってくる感じがしています。

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この「切り分け」について。

タフラブに必要な「問題の切り分け」=課題の分離、は、「これは誰の問題なのか」を分けることだとしつこく言ってまいりました。
(詳しくは前記事などに→不倫は誰の問題?人間関係を解決する、課題の分離=タフラブとは)
この、切り分けについても信田氏によると、コツが一つある。

『誰が』切り分けるのか?

特に難しいのは
・相手が善意で(こちらが望まないことを)してくれる場合
・相手が(こちらが見捨てたら)ダメになってしまうかも、という危機感のある場合

こんな、「切り分け」に悩んだときも答えは一つだけ。

こじれやもつれを苦しいと思う側が、切り分けるしかない。相手にそれを要求しても無駄なのだ。(中略)
親子関係でも、親の方が苦しいと思ったら、親が切るべし。子が苦しいと思ったら、子が切るべし、なのだ。

そう、答えは

「苦しいと思う側」が切り分ければよい

善意を受けた相手であれば
「今まで本当にありがとう。感謝しています。でも、『私は』これからはこうしていきたいと思っています」
とか、
相手のことが心配であれば
「あなたのことがとても心配だけれど、『私は』ずっとあなたの話を聞くのが辛くなってしまいました」

言葉は柔らかくとも『私は』を主語に、態度は毅然と(女子アナ調で)伝えていくのが良さそうです。
相手の理解を求めずに。

→次はラスト。「タフに生きるために必要な知恵」をまとめます!

☆本日のまとめ☆

タフラブを実践するために必要なこと

①家族愛という常識にとらわれないこと。

家族や身近な人間関係こそ取り返しのつかない大きな問題になりやすい。
カウンセリングの現場ではそんな例が溢れています。

②理解を断念すること

相手にわかってもらおう、理解してもらおう、という思いは捨てましょう。

③コミュニケーションは『私は』(=I)メッセージ

『私は』~思う、こうしたい、という発信をしていきましょう。
女子アナ調で淡々と伝えればOK。それを繰り返していけば、変化は必ず訪れます。

④切り分けは「苦しいと思う側」がはじめる

上記の行動は問題の「切り分け」でもある。
それは「苦しい」と感じる側から始めるしかない。苦しいと思うならば実践してみましょう!

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