臨床心理士信田さよ子さんの本から、課題の分離=タフラブについて
・その歴史
・タフラブとは何か
・タフラブを持って生きるために必要なこと
の3点をまとめていきます。
前記事でも、私の経験から「課題の分離」の大切さを書きました。
→不倫は誰の問題?人間関係を解決する、課題の分離=タフラブとは
アドラー心理学が有名になる前に書かれた、信田さよ子氏による本「タフラブという快刀」
ご自身の、多数のカウンセリング経験の実例を交えて分かりやすく書かれている本です。
タフラブの歴史
タフラブという言葉が生まれたのは、1950年代のアメリカ。
アルコール依存という問題を持つ人の、家族や友人のための自助グループ(A-Anon:アラノン)が発祥だそうです。
(自助グループとは、同じ悩みや経験を持つものが(匿名で)自分たちの胸の内を語る会で、アメリカでは多種類に渡り広く存在しています)
アルコール依存症者の中には、結婚している者も多く、その妻たちは夫に酒をやめさせようとあらゆる手段を尽くす。
酒を取り上げてて隠したり、今度飲んだら離婚よ!!と脅したり。
ところがどんな手を尽くしても彼らが酒をやめることはなく、むしろもっと酒を飲むようになる。
八方ふさがりで無力感にさいなまれる妻たち。
そんな妻たちが、
「飲むか飲まないかはあなたの問題です」
と夫の飲酒と距離を取り、夫を家に残して自分は自助グループに参加することを選択する。
そんな対応が積み重なった結果、なんと、酒をやめる夫が現れだしたという。
あんなに手を尽くしても変わらなかった夫たちが、妻に距離を置かれたとたんに変化を見せた・・・。
そのことから妻たちは
「夫に酒をやめさせることはできない。飲むか飲まないかは夫に任せよう。思い切って手を放し、見守ることにしよう」
そう考えるようになった。
本書にはこうまとめられています。
密着し、尽くすことで夫を救うことはできなかった。それよりも、勇気をもって手を放すことが、夫たちを救った。それこそが、愛なのではないだろうか。やさしく壊れそうな愛ではなく、勇気に満ちた愛。
そこから生まれたことばが、「タフラブ」である。
ちなみにアドラー心理学でも「見守り」が重要なスタンスと位置付けられています。
見放すのではなく、見守る。
けれど相手への介入は、手放す。
「勇気」が必要な愛、というのもアドラー心理学の考え方と共通しています。
私の父親もアルコール依存の高い人間で、例外にもれず、その傍には必死に酒をやめさせようとする母や祖母(同居していた、父の母親)がいました。
「お父さんが一番かわいいのは娘なのだから、あなたから酒をやめるように説得して!!」
と、長女である私も、幾度となく言われたものでした。
もちろん、父が酒をやめることはありませんでした。
その経験からも「依存というのは、誰かに言われても止められないものだ」と痛感しています。
むしろ、「言ってくれる誰か」がいることで依存をより強いものにしているという皮肉な結果も事実です。
そんな私の父も生涯に一度だけ、一人暮らし(単身赴任)をしていたことがあります。
祖母に溺愛され、家事も一切できない父が一人暮らしをすることを(私を含め)女たちは心配したものでしたが、予想に反して父は健康的な生活をしていました。
(毎日のように酒を飲んではいましたが、あくまで適量)
ずっとこうしていればいいのに・・・
と私は内心願っていましたが、残念ながら単身赴任は1年もたたず終わり、また家に戻れば同じような生活。
(そんな生活がたたり、5年前に急性心不全であっけなく亡くなりました)
依存症、というと「自分とは別種の人間」と感じる人も多いかもしれません。
でも私は、多かれ少なかれ何かしらの依存を抱える人間の方が多いと思っています。
私自身も妊娠するまでは年間360日くらい(ほとんどじゃん!)毎晩お酒を飲んでいましたし、問題があるような男性にほど執着したり。
ちなみに先のアルコール依存症の妻たちのように
「自分以外の人間の問題に介入し、世話を焼きすぎる人」は「共依存」と言われます。
共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする
課題の分離やタフラブ、ひいては幸せな生き方、を考えたときにこういった
依存症からの脱却
という視点を持つことは、ものすごく役に立ちました。
だからこそ、タフラブという考え方も(〇〇依存症、という特別な人だけでなく)多くの人に幅広く伝わっていくといいなあと思っています。
それは必ず平穏な人間関係、平和な人生につながってくるからです。
タフラブ、の詳しい内容は次に続きます!