この世は地獄、踊り狂いて死にゆかん。鈴木いづみの語録より。

お久しぶりの更新です(・・;)
季節の変わり目で子供の体調不良や、自分もダルさが抜けない日々。
5月病・・・になるほどの要因は何もない生活なのですが(・・;)
環境の変化などの要因だけでなく、季節の変わり目というのはどうしても内側が
不安定になりやすいものかもしれませんね。

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問:やる気が出ないときはどうするか。

体育会系ブラック企業上がりのわたしとしては、
「いや、そんな甘えたことを言っていてはならぬ!病は気から!」
と自らを叱咤していた時期もありましたが(自分の脳内でのはなし)

独学ながら、心理の探求を続けて早数十年。
私が出した結論は

答え:休む!

まあ、とはいえ子育てやら仕事やら休めない要因はありますが、
それでも「がんばらない」のが、結局は回復の近道だと確信しています。

ただひたすら寝る、のでもいいんですが、
好きな音楽を聴く、とか
好きな映画を見る、とか。
心地よい時間を過ごせればなおいいですよね。

無趣味でネクラなわたしは、こんな時は読書が落ち着きます。

それも、あんまりキラキラと前向きオーラ出してる本は、却下(笑)

今の自分と同じようなトーンの、暗めの言葉に癒されます。

そんな時に本棚から手に取るお気に入りの一冊は、鈴木いづみ
学生時代から、もう20年近く?!私の本棚にある一冊です。
(鈴木いづみとは→ウィキペディア


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暗い「トーン」なんていう生易しい感じではなく、
黒光りするナイフのような、
でも切られた果実からは瑞々しい果汁がほとばしるような、
そんな力のある言葉たち。

いくつか引用します。

学校

だいたい私は学校が好きじゃない。
子供の頃から、学校が楽しいと思ったことなんて 一度もない。
そこには疎外しかなかった。
私にはわけのわからないことばをしゃべるチビ共でいっぱいの、呪われた場所でしかなかった。
子供の私にとって仲間はずれの意識は非常に苦痛だった。
希望いっぱい、楽しそうにやっている連中は、いつでも別種に感じられた。

学校や、グループ(特に女子!)が苦手な私には、よくわかる。
希望いっぱいの人種の違うチビ達(クラスメイトだけど(笑))
でも、仲間はずれにされることはいつも恐れてた。
うまく立ち回らなくては、と 自分に言い聞かせていた子供のわたし。

教育

わたしたちは、周囲が期待し強制する、わたしたちが持つべきである「ある種の気分」なり
「感情」なりを、自分のものであると錯覚すべく、訓練を受けてきた。
それが教育というものだ。
他人の不幸には同情し、パーティではうきうきするように、しつけられてきた。

これも共感!
もっと例をあげれば、
赤ちゃんや子犬を見れば「カワイイ~♡」といい、
結婚式の「親への手紙」シーンでは涙ぐみ、
人生相談をされれば、深刻な顔であいづちを打つ。

と、かくいう私も↑のようなことを無意識にやってるんですが。
それが「本当の自分の中の感覚」なのか、
「そうすべきもの、と錯覚してしまってる」のか。

そこを自覚するのって、実はすごく大事なことではないか。
この言葉を読み返すたびに、気づくのです。

意識しないとどんどん自分の感覚は鈍っていく
外側の(常識とされる)価値観だけに流されていく

「教育」は私の関心テーマの一つですが、それは
無自覚な教育ほど恐ろしいものはない、という恐怖感があるから。

子供時代はもちろんだけど、大人になっても(ブラック企業ですが)
「一番強い組織とは、軍隊である!」
なんて朝っぱらから教育されていたこともある。
(すでに平成の世でしたけどね!!)

自分も十分に「しつけ」がなされて来たと感じている身として、
洗脳ではない、本来の「個」が生かされるための教育はどうすればいいのか。
なんていつも考えています。

諦観

「もう子供時代は終わった」と思ったその夜から、あまり泣かなくなった。
ひとつの諦観が私の主なる属性となった。

ブラック企業で働いてた日々。
最初の数ヶ月を過ぎた頃から、本当に泣かなくなった。
どんなに理不尽な叱られ方をされても、仕事を押し付けられても。

そんな組織を抜け出して良かったなあ~としみじみ思うし、
諦観に負けたくないな、という気持ちも今はある。

けれど時に、この「諦観」をバランスよく心に宿すことは、
人生を容易に生きるコツなのかもしれない、
そうも感じています。

クスリ

このような時代をしらふで生きていくことはむずかしい。
だが
完全に酔ってしまうこともできない。
だったら酔ったふりをすることしかできないだろう。
やがて忘れられるはずの歌でも口ずさんで。
ままよ、この世は地獄。その最後の日まで、我らみな、踊り狂いて、
踊り狂いて死にゆかん。

最後の

踊り狂いて死にゆかん

何かのスローガンのように、ふとした時に今でも浮かぶ言葉です。

死にゆかん、なんて言う言葉は「けしからん!不謹慎」
って思う人もいるかもしれません。

けれど私にとっては、この言葉こそが
絶望的な状況であっても、生き延びようとするエネルギーになったと感じているのです。

時に、
この世は地獄
っていう言葉に、
「ああ、そんなもんだよな」と良い感じにあきらめがついたり、

時に
「まだ踊ってもないから死ねないよなあ」
っていう自分へのエールになったり。

当の鈴木いづみさんは36歳で自殺してしまったので、残念でなりません。
感受性が鋭すぎると、生きていくのは難しいのかもしれない。

平気で生き延びていける自分の鈍感力に感謝しつつ、
ポジティブではない。
けれどエネルギーに満ちた言葉たち。

そんな言葉を私も届けられるようになりたいなあー、
なんて思います☆

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