前記事(こちらをクリック)に続いて、
「人は言行一致(有言実行)でないといけないのか」についての考察です。
前記事では、教育・子育てテーマのブログを書いている私が、
もし独身だったらお怒りになりますか?と問わせていただきました。
以前の私だったらおそらく、
3・あなたに興味も関心もないんだけど、嘘をついていたとは許せないわ!
を選んだと思います。 反射的に。
だって、言葉と行動は一致しているのがこの世の常識だと信じていたから。
そんな自分の中の常識が揺らいだのは、寺山修司の言葉。
「家出のすすめ」の中の一節でした。
ところで、わたしは言行不一致はそれなりで、なかなかいいものではないか、
と考えています。
すくなくとも、言行不一致を平気で容認していけるような太い神経だけが、
長い歴史を少しずつ変革してきたと考えられるからです。家出のすすめ(角川文庫)より
なぬ!言行不一致はそれなりにいいものだと?
その根拠として挙げられているのは日本の歴史。
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例えば長崎のかくれキリシタンの伝道史。
踏み絵(社会の教科書にでてくる、あれです→忘れた方はこちらにも)
信念と行動を一致させ、キリスト様を踏むことを拒んだ信徒は殺されていった。
踏み絵という史実が現代に残っているのは、
心の中にキリシタンの信念がありつつも
ちゃっかりキリスト様やマリア様を踏んだ=生き延びた信徒がいたからこそ、である。
そう寺山は解釈しています。
また、もう一つ例を挙げてまとめています。
福田恆存は、「わたしは自分でもときどき顔を赤らめるようないい事をいう。
しかし、妻はそれを素直に聞いて成長して行った」と書いていますが、
思想とは本来「自分でもときどき顔を赤らめる」ようなことでいいのではないか、 と私は考えるのです。そして、こうした言葉は、
それ自体で一つの行為の重みをもっているのであって、
けっして実行者のそれに優先されるのものではないのです。
そのへんのところを よく弁えてかからぬと、つねに体験者優先の思想しか
効力をもたないということになります。
言行不一致を認めないということは、
体験者の言葉・思想だけを尊重するということになり得る。
するとどうしても、経験の差による「優劣」=上下関係が生まれます。
未経験者<<<経験者
子ども<<<大人
生徒<<<教師
後輩<<<先輩
部下<<<上司 などなど・・・。
ところで、私が子育てにおいて感銘を受けた本の一つに、
独身社会学者による本、「保育園義務教育化」があります。
著者の川越シェフ、
じゃなかった古市憲寿氏は30代そこそこの独身男性。子供もなし。
けれど古市氏は「保育園は義務教育化すべきでは」
と熱い問題提起をしてくれた。
そのきっかけとなったのは、
労働力も子供も不足している現代の日本で、
子どもを産んで、さらに働こう!と言ってくれるお母さんは貴重な存在ではないか。
なのに、なぜそういう女性が(待機児童問題に)悩まなければいけないのだ
???????????????
という純粋な疑問だったそう。
そこから、社会学者らしいデータ収集や分析をもとに彼の主張は展開されていく。
(こちらの記事にもあります→
子育て神話に根拠なし!古市憲寿「保育園義務教育化」に学ぶ、子育てがラクになる知恵)
子育て「経験者」から見たら、多少の詰めの甘さや理想論が混じっているとも思う。
でも、時に子育てに苦痛を感じる母親の一人として、
私はこの本を読んだときに胸が熱くなった。
子育て経験ゼロの古市氏だけれども、彼の言葉は、
したり顔で自分の教育を主張する「経験者」のものより何倍も、
私の胸に響きました。
また、エッセイストの落合恵子さんも未婚で子供もいませんが、
「私は出産・結婚という経験をしていない。
けれど、出産・結婚を『しない』という『経験』をしている」
と、書いていました。
どの本の言葉だったか思い出せず残念・・・
でも、ネットにこんな記事もありました~↓
子育て経験がない「欠如」を体験したから分かることがある
あー、この人の言葉は弱きものに対してすごく温かい印象があるのだけど、
そういう強く優しい信念に基づくものなんだろうなあ。
さてさて、わが身に置き換えると、反省すること山のごとし。。。
ついつい、子どもには「こうしなさい!」「こうすべきよ!」
なんて上から目線の物言いをしてしまうことも。
アドラー先生に聞かれたら間違いなく怒られます、はい。
(何それ?と思った方はこちら→
アドラー心理学:課題の分離・横の関係・見守り・勇気づけ。子育てにどう生かす?私の事例 )
とはいえ、人工知能が大半の仕事を奪うと言われる未知の時代に、
親である私のちっぽけな経験が子供たちより優れているなんて、誰が言えるでしょう。
そんな謙虚さや、相手の立場や考えをおもんばかる想像力の大切さを
改めてわが身に言い聞かせるとともに、
ブログを書かせていただく者の端くれとして、
(等身大の自分をわきに置いて)かっこいいことを記事に書いてしまうこともあるけれど、
読んだ人がもし感銘を受けてくれたらこんなに嬉しいことはないじゃないか
(言行不一致でもいいじゃないか)
と持ち前の図太い神経で受け止めてもいます。
・・・実は先日「けむりさんの教育記事が参考になります」
と、とっても嬉しいメッセージをくださった方がいまして(涙)
踊りだしたくなる歓喜と同時に、
「やばいやばい、どうせ誰も読まないだろうと思って偉そうに書いてしまったけど
読んでくれる人がいたなんて、どうしようどうしようどうしよう」
と、一人でおろおろしてしまったのですが、
先の寺山修司の言葉を思い出して、
「お役に立てたと言ってくださるのだから、ま、ありがたく受け止めよう♡」
と開き直った次第でありました。
(Tさま、嬉しいメッセージ本当にありがとうございました)
まとめると、
「言動と言葉は一致していなければならないのか」問題について。
我ながらなかなかいいな♪という言葉を思いついたら
とりあえず自分の身や言動は脇に置いといて
発してみれば良いのだー◎
「経験していないあなたにはわからない」
「言ってることとやってることが違う」
そんなツッコミは、図太い神経と、愛をもって無視しましょー♡
それが私の結論です。
長々読んでいただきありがとうございました<(_ _)>