またまたブログが滞ってしまいましたが(;´д`)
その間には3・11東日本大震災から6年という節目がありました。
6年前のあの日を考えると同時に思い出すことの一つにある、「祈り」
祈りに効果はあるのか?
私なりの考察を書いてみます。
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6年前の大震災。
東京にいる私は身内とともに大きな被害はなかったものの、未曾有の事態に大きな不安を感じていました。
ニュースで流れる、目を疑うような光景
新聞を埋め尽くす写真と情報
個人的には1歳になる直前の娘を抱え、差し迫っている社会復帰や保育園入園という変化も前にして
とにかく落ち着かない日々を送っていました。
多くの人々が(被災はしていなくても)同じような不安定な思いを抱えていたことと思います。
自分にできることはしなくては!
かと言って何もできないもどかしさも感じていた頃。
お世話になっていたカウンセラーさんの声掛けで、毎晩
「被災地に祈る」時間を設けることになりました。
といっても朝晩、大体の決まった時間に、自分の居場所から祈るだけ。
おおよその時間は、仲間内のブログ内でカウンセラーさんから告知されました。
仲間、というのはそのカウンセラーさん(さえこさんと言います)が立ち上げた
「不倫に傷ついた者たちが参加する、非公開の掲示板(匿名参加)」というもの。
一定の基準(さえこさんのカウンセリングを受けた、趣旨に共感しているなど)を満たす人だけが集まっていたので
一般のネット社会とは全然違う、とても誠実で優しい空間でした。
その仲間たちと、(それぞれ自分の家や居場所からではありますが)
被災地に祈っていました。
平穏な日々が来ること、傷が癒されること、
亡くなった方に対しては、その魂が安らかであることを。
特定の宗教などの知識もなく、ただ心をこめて目をつぶって祈りの言葉を自分なりに
唱えていただけですが、
混乱の中、自分の心もすごく落ち着く時間になったのを今でも覚えています。
もちろん、実際にそれが誰にどれだけ役に立ったかなんて目に見えませんが、
「祈り」に関するこんな実験結果もあるようです。
心臓学の教授であるランドルフ・ビルドさんがサンフランシスコ総合病院で『祈り』に関する実験を行いました。
心臓治療のために入院している393人の患者をランダムに2グループに分け、片方のグループには他者から祈りを捧げ、もう片方のグループには何も行いませんでした。
祈りを捧げる人たちは全国の教会から募集し、一人の患者に対し5〜7人の人が毎日祈りを捧げました。
その結果、祈りを捧げてもらったグループの人たちは何もしなかったグループの人よりも病気の進行が明らかに遅くなっていたようです。
つまり、祈りを受けた人たちの体に良い影響を与えることができたということです。そして、この実験によってどんなに離れた場所からでも、祈りを捧げた相手に対して影響を及ぼすことができるということもわかりました。
<<ラリー・ドッシー著『魂の再発見〜聖なる科学をめざして』より>>
遠くから祈るだけでも、祈られた人間には病気の進行が遅くなるという「効果」が
あったということです。
引用文献のラリー・ドッシーさんは祈りに関しての著書も複数あるようです。
また、テレビにもよく出る脳科学者の中野信子さんも、
祈りについての著書を出されていることを知りました。
先ほどのサイトの引用ですが、
脳科学者の中野信子さんの研究によって、『祈り』は他人だけでなく自分の心も満たしてくれる行為であるということがわかったそうです。
自分以外の誰かに対して『◯◯さんが幸せになれますように〜』と祈ると、脳は自分が善い行いをしていると判断します。
そしてドーパミンやベータエンドルフィン、オキシトシンなどの『快』を感じる物質が脳内に分泌されます。
その結果、祈りを捧げた人自身も幸せな感情を感じることができるのです。
(後略)<<中野信子著『脳科学からみた「祈り」』より>>
なるほど。。。
募金もしたけれど、お金だけではなくて
なにか少しでも自分にできることはないか、
そんな時に声をかけてもらった「祈り」の場。
他者のために祈ったつもりが、巡り巡って自分が癒されていたんですね。
6年前のあの頃を思い出すと、すごく腑に落ちます。
祈りを持つことで、私自身が癒されていたのでした。
この本はぜひ読んでみようと思います!
日常生活でも、特に子育てをしていると
「なにかしてあげたい、でも祈るしかできない」
という場面は多々あります。
子供が友人とのことで悩みを抱えているとき
新しい環境に進むとき
全てに自信がなくなってしまうとき・・・
そんなときはそっと目を閉じて、祈ってみる。
自分なりのやり方でいいと思います。
相手の、時に自分の平穏を、ただ祈る。
そんな「祈り」の効果を思い出しながら迎えた6年目の3・11でした。
未だ癒えぬ傷や日常を抱える被災地の方々の平穏を祈って。