子育てママや学生さんにも!鈴木いづみ語録より、エネルギーに溢れる言葉たち。

先日、私の大好きな寺山修司の詩をご紹介しました。
子育てママや学生さんにも!寺山修司、おすすめの詩「寺山修司少女詩集」

今日は1960年代を駆け抜けた人物からもうひとりの言葉をご紹介。
鈴木いづみ語録です。

寺山も、鈴木いづみも、1960年代に活躍した人の言葉から感じるもの。それは

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常識を疑え!という反骨心

平々凡々な人生を送っている(と思ってる)私ですが、学生時代に読んだ彼らの言葉は胸の奥にしまわれて、 自分の一部になっている気がします。

さて、鈴木いづみとは。
(参照:ウィキペディア
ポルノ女優でありながら、作家として小説やエッセイを多数残しながら36歳の若さで自死により亡くなっています。

私の好きな名言集、いづみ語録。
彼女の書物からの言葉が抜粋されています。

クスリをやったり、精神的に不安定さがあったりした彼女。
ナイフのような鋭さや退廃的なメッセージも多々感じるので、正直なところ今の私には響かない言葉も多い。
例えば

速度が問題なのだ。人生の絶対量は、はじめから決まっているという気がする。細く長くか、太く短くか、いずれにしても使い切ってしまえば死ぬよりほかにない。どのくらいのはやさで生きるか?

短い生涯を駆け抜けた彼女っぽい言葉。
青春時代の私は強烈な眩しさを感じたものでした。
一方で今の私・・・細く長く平和に生きられればいいです(笑)💦

けれど久しぶりに読み返してみると、今の自分の価値観につながっているなと思う言葉も多々。

ブログのテーマでもある「子供と同時に、ママも幸せでなければならない」という信念。
こんな言葉の影響かもしれません。

総じて不幸な女は美しくはない。美しく不幸な女という観念は、思春期の少年少女や通俗ドラマのなかにしか、存在しない。不幸は女をきたならしくする。それでもなおのこっているものがあるとすれば、それは外的な美をのりこえたなにものかである。

そう、美しい女性は幸福な女性なのです!
参照記事→娘に伝えたい、自己肯定感。人は見た目が9割&サエない女は犯罪である

ふたりで生きるということも、ひとりで生きていくのと同じように、覚悟が必要なのだ。わたしはわたしでしかありえない。わたしは私自身のために生きていく。エゴの固まりとして。それは人生に起こるすべてのことの責任を、決していいわけなどしないで黙って引き受けていくことなのだ。

かっこいいですねー!
決していいわけなどしない・・・そんな境地には至っていませんが
「わたしは私自身のために生きていく」
エゴの固まりでもいい。
夫のため、家族のため、よりもまずは
「自分のため」に生きるべきだとわたしも信じます!

また、子育てや教育を考えるときも、出来る限り「自分の頭で考えたい」
=常識を鵜呑みにすればいいと安易に考たくない、と胸に刻んでいます。

常識人間だった自分が(笑)それを疑うきっかけとなった言葉たち。

わたしたちは、周囲が期待し矯正する、わたしたちがもつべきである「ある種の気分」なり「感情」なりを、自分のものであると錯覚すべく、訓練をうけてきた。それが教育というものだ。他人の不幸には同情し、パーティではうきうきするように、しつけらえれてきた。

教育のもつ恐ろしさ。
感情までもみんなと「同じ」にしつけられている。と。

ひとりの人を愛するとか言うけど、それは偶然だよ。そういう気分になってたときに、その相手が現れただけで、それを宿命とか運命とか感じるところからして間違ってる。そこからして自分を悲劇的なものにしてるわけ。

なんとも、シュール😁
「悲劇のヒロイン」に陥りがちな若い私には、ぎくりとした言葉です。

道徳なんて、はじめっからないのよ。よくかんがえてみたら。十代のころはすごくある、と思い込んでたんだけど。それは道徳を押し付けてくる他人をこわがってただけなの。それに気がついたら、よけいおそろしくなった。(後略)

「怒られること」「周囲と外れること」を恐れている自分。
それは「それを押し付けてくるであろう誰か他人」を恐れているということ。
国や時代によって変わるものでもある「道徳」
恐れは誰に向けられたものか、考えてみたいものです。

言葉としては刺激的なものが多い語録ですが、その背後に流れる強烈なエネルギー。
それは時を超えて人々の胸に刺さるものに感じています。

なんだか退屈、なんだかもやもや・・・
そんな時にはきっと胸に残る一言が見つかるはずですよ✨

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