自分には母性がない?と悩んだら ①古典『愛するということ』に学ぶ

こんにちは!けむりです。
9月が始まり、また新しい時間。
長女は小学校2学期に、三女は保育園にデビューしました
慣らし保育を終えたら、私も講師の仕事に復帰!

念願の再スタート~
のはずが、子供と離れる時間に寂しさも(T_T)💦
とはいえ、子供とべったり過ごした夏休み。
実りも思い出も多いけれど、イライラぶつかったり、感情任せに怒って自己嫌悪に陥ったり。
専業主婦の時間にも、悩みはたくさんありました。

子育てにイライラしてしまう時、ふとよぎるのが、
「私には母性が足りないのかしら・・・」

母性、というキーワード。

なんだか、温かくていい匂いのするような、
けれどじんわり首を絞めてくるような
曖昧なこのキーワード・・・

母性って何だろう!
愛情って何?

以前に読んだ名著を思い出し、今一度開いてみることに。

「愛するということ」エーリッヒフロム 鈴木晶訳

この本は、長女の出産前に夫と揉めに揉めて、家庭内の空気が最悪だった頃。
神様のギフトかと思うくらいに素敵なカウンセラーさんに出会ったのです。
その彼女がおすすめしていた書でした。

・・・私も愛を学ぶぞ!お腹の子を産む時は、愛情あふれる自分になってるぞ!

タイトルに惹かれ意気込んで購入したものの、
かなり難解・・・・゜・(ノД`)・゜・
ソッコー古本屋行きかしら?(おいっ💦)

それならば、と気になるところだけ拾い読み。
けれどそこには、その後私の育児の指針となる珠玉の言葉がありました。

フロムいわく、母性愛には二つの側面がある。

1つ:子どもの生命と成長を守るためにぜったいに必要な気づかいと責任=世話と肯定
2つ:「生きているというのはすばらしい」「子どもであるというのは良いことだ」といった感覚を与えられること=人生への愛や幸福

それぞれを、聖書の表現を用いて、こう記しています。

約束の地(大地は常に母の象徴である)は「乳と蜜の流れる地」として描かれている。
乳は愛の第一の側面、すなわち世話と肯定の象徴である。

蜜は人生の甘美さや、人生への愛や、生きていることの幸福を象徴している。
たいていの母親は「乳」を与えることはできるが、「蜜」も与えることのできる母親はごく少数である。
蜜を与えることができるためには、母親はたんなる「良い母親」であるだけではだめで、幸福な人間でなければならないが、そういう母親はめったにいない。

(第2章 b母性愛 より)

これを読んで
「母親は世話をするだけではダメなのか~」とハードル高く思えてしまう方もいるかしら

けれど私は「母親は幸福な人間でなければならない」という点に、すごく救われました。
もともと家事が苦手(=子どものお世話が不安)、
子供や子犬を見ても「きゃわいいーーー♡」って言うタイプじゃない(=子供を愛せるか不安)
そんな、母性から1万マイルは離れてそうな自分。。。

でも、「幸福な人間になる」
ことはできそう

(あれ?単純すぎ??)

前述のとおり、この本を読んだ時には最悪だった夫婦関係。
けれど、子供を産むことはもちろん決めていたし、フロムを信じて
「いい母親=幸福な人間になるぞ」と決めてからは、自分第一に過ごしました
(実際は赤ちゃんのお世話ばかりでしたが、意識はあくまで自分を大事にしてました)

そんな道のりで、夫とも良好な関係を築き、その後二人の愛する子供にも恵まれたんです💕

主婦・子育てしていると、どうしても自分「以外」のことが最優先になりがち。
「たまには自分にご褒美~」と思いつつ、子供を預けたら罪悪感が湧き上がったり。

けれど、いいんです‼
幸せなお母さんにしか伝えられない「愛」はあるんです!
お母さんが自分の幸せを許可する、これも「母性」なんです!

と、今でも不安になると(この部分だけ(笑)!)読み返す大切な本です。

母乳の出にくい私は、次女以降はさっさとミルクにしてしまったけど
「蜜」の与えられる母親になることが、人生の目標です☆

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